2007年08月21日
2007年度意見発表作文 3年生①
毎年1学期に行われる農業クラブ主催の意見発表という行事があります。
「食料」、「環境」、「文化・生活」の3区分のテーマがあり、
いずれかのテーマで意見作文を発表するものです。
県大会に出場し「優秀」だった3年生の意見発表作文
『稲ワラの温もり~土にまみれたヒモ靴~』を掲載します。
「食料」、「環境」、「文化・生活」の3区分のテーマがあり、
いずれかのテーマで意見作文を発表するものです。
県大会に出場し「優秀」だった3年生の意見発表作文
『稲ワラの温もり~土にまみれたヒモ靴~』を掲載します。
[ハットリ]
稲ワラの温もり
~土にまみれたヒモ靴~ 3年 O・S
昔々、ある所にお爺さんとお婆さんが暮らしていました。お爺さんは山へ柴刈りに。お婆さんは川へ洗濯に。暮らしは貧しくても自然は豊かでした。めでたし、めでたし。今は、お爺さんは遠い国で掘られた石油を買い、お婆さんは洗濯機のボタンに手を伸ばす。めでたし、…いや、これで本当にめでたしなのだろうか?
幼い頃、自然に囲まれて育った僕のヒモ靴はいつも土にまみれていた。冬は雪で遊び、春には山菜を摘み、夏になると川で潜った。秋になって稲刈りが終った頃、田んぼ一面に落ちている稲ワラを一角に集め始める。小さい体で腕一杯にワラを抱き抱えて田んぼ中を走り回った。気の遠くなるような作業で太陽も赤みを増していった。集めたワラを積上げ、やっとの思いでワラの家が完成した。夕暮れ時、ワラの壁は僕達を冷たい風から守ってくれた。本当に温かかった。皆でそこにいるだけ。それだけで良かった。他に何か欲しいとも思わなかった。
保育園や小学校時代にはよく遠足に行った記憶がある。先生は道端に捨てられたゴミを指して「あんな風に自然を破壊する様な事をしてはいけないよ。」と教えてくれた。しかし、田畑に綺麗に植えられた作物を見ても「雑草一つない畑は農薬漬けだ。」とは教えてくれなかった。更にその農薬が流れ出して河川や地下水までをも汚染しているなんて事は知る由も無かった。
十歳を過ぎた頃のある秋の日、稲ワラを集めるのが面倒になった僕達は作業場に捨てられていた大きな板を持ち出して秘密基地を作ることにした。ワラを集める様な手間も掛からず、あっという間に完成した基地の中で僕達は退屈していた。夕日の沈む頃、冷たい風が板の隙間から入ってきて僕達は家に帰る事にした。その頃から僕達は野山で遊ばなくなっていった。友達に合わせて物を買い漁り、アスファルトで舗装された道を歩き、二次元の画面に釘付けになった。何をするにしても友達に合わせていた。しかし、そんな友達との間には目には見えない距離があった。土や泥が厚く付いていたヒモ靴はすっかり綺麗になったがどこか痩せこけてしまった様にも見えた。
中学を卒業した僕は全寮制の農業高校に通うようになった。日本一実習が多いこの高校で僕は毎日汗を流しながら農業について学んでいる。農地が人々に与えてくれるものはおいしい農産物だけではない。雨水を保水する事によって洪水や土砂崩れ等を防ぎ、大気や水を浄化する働きも兼ね備えている。そんな“地球のフィルター”とも呼べる農業も農薬や化学肥料、機械等を多用するようになり、排出された汚染物質や二酸化炭素は土も、水も、空気までをも汚染する。そして現在日本では国内自給出来ない大量の飼料穀物を生産者と直接顔を合わす事もない、遠い国に依存している。もし現在の飼料穀物を全て自給するとなれば日本の全耕地面積の2.4倍の面積の畑が必要となる。そして近年そんな莫大な量の飼料がエネルギーに転換され始めている。その為、僕の専攻している養鶏部の飼料価格は急上昇している。一刻も早く日本の農業のあり方を考え直さなくてはならないと思う。
便利で楽な生活。物資が溢れ返り、欲しい物は店に行けば手に入る。そんな生活は互いに支え合っていた人々を遠ざけ、人を土からも遠ざけてしまった。今や家を建てる時や田植えをする時に近所の人が大勢で助け合う必要もない。残された農地では生産効率を上げる為に農薬や化学肥料を多用し、簡単な操作で何でもこなす機械に頼る様になった。今や額に汗せず、土や泥で汚れる事もなく農業ができる。しかし、綺麗な長靴や足袋の裏には踏み潰された自然環境があるのではないだろうか。
…今地球上にあるフィルターはどれだけ汚れてボロボロになってしまっているのだろう。人がその危険性に気付くのはいつだろうか。牛が狂ってから、草木が枯れてから、魚が死んでから、人の命が犠牲になってから…?それでは手遅れかもしれない。目に見えなくても危険な状況はすぐ目の前にある。便利で楽な生活を追求していく程にそんな生活からは抜け出せなくなり限りある資源はやがて底を尽き、便利さの裏で環境は廃れていくのだろう。資源や産業をいつまでも廃れない未来に続けていけるものに切り替えていく必要があると思う。便利さばかりを求めていてはそれは実現しないだろう。田畑を無農薬無化学肥料の有機栽培に切り替え、人体に安全、かつ土壌や水質を保全するという本来の機能を取り戻させる。機械で踏み固められた土地は牛や馬に耕させ、それらの家畜は放牧や有機性廃棄物、残飯等を利用して育て、規模も飼料を自給出来る程度に縮小する。「生きる」という漢字は「牛」という字と「土」という字が合わさって出来ている様に見える。地域やその土地に根付いた畜産が求められているのではないだろうか。その為には地域や隣近所との連携や助け合いが必要となる。そんな農業は廃れずに続いていく。そうして土や泥で汚れた長靴や足袋の裏側には多少なりとも綺麗になった自然環境があるのだと思う。
高校の長期休みで家に帰る度に、昔僕が眺めていた景色は消されては塗り替えられていく。僕たちの遊び場だった田んぼは真ん中をアスファルトで舗装された道に貫かれ、殆どの土地は整備され新築が立つのをまだかまだかと待ち望んでいるように見える。田んぼを貫いたアスファルトの上で子供が2、3人たまっている。歳は丁度僕らがここを走り回っていた頃ぐらいだ。そんな子供達の履いているピカピカな靴は土や泥に触れた事があるのだろうか。
夕陽が冷たい風を運んできた。あの稲ワラの温もりはどこへ行ってしまったのだろう。
未来。ある所にお爺さんとお婆さんが暮らす予定です。お爺さんは山へ柴刈りに。お婆さんは川へ洗濯に。子どもたちの靴は土や泥まみれに。
そうなる事を信じて。
~土にまみれたヒモ靴~ 3年 O・S
昔々、ある所にお爺さんとお婆さんが暮らしていました。お爺さんは山へ柴刈りに。お婆さんは川へ洗濯に。暮らしは貧しくても自然は豊かでした。めでたし、めでたし。今は、お爺さんは遠い国で掘られた石油を買い、お婆さんは洗濯機のボタンに手を伸ばす。めでたし、…いや、これで本当にめでたしなのだろうか?
幼い頃、自然に囲まれて育った僕のヒモ靴はいつも土にまみれていた。冬は雪で遊び、春には山菜を摘み、夏になると川で潜った。秋になって稲刈りが終った頃、田んぼ一面に落ちている稲ワラを一角に集め始める。小さい体で腕一杯にワラを抱き抱えて田んぼ中を走り回った。気の遠くなるような作業で太陽も赤みを増していった。集めたワラを積上げ、やっとの思いでワラの家が完成した。夕暮れ時、ワラの壁は僕達を冷たい風から守ってくれた。本当に温かかった。皆でそこにいるだけ。それだけで良かった。他に何か欲しいとも思わなかった。
保育園や小学校時代にはよく遠足に行った記憶がある。先生は道端に捨てられたゴミを指して「あんな風に自然を破壊する様な事をしてはいけないよ。」と教えてくれた。しかし、田畑に綺麗に植えられた作物を見ても「雑草一つない畑は農薬漬けだ。」とは教えてくれなかった。更にその農薬が流れ出して河川や地下水までをも汚染しているなんて事は知る由も無かった。
十歳を過ぎた頃のある秋の日、稲ワラを集めるのが面倒になった僕達は作業場に捨てられていた大きな板を持ち出して秘密基地を作ることにした。ワラを集める様な手間も掛からず、あっという間に完成した基地の中で僕達は退屈していた。夕日の沈む頃、冷たい風が板の隙間から入ってきて僕達は家に帰る事にした。その頃から僕達は野山で遊ばなくなっていった。友達に合わせて物を買い漁り、アスファルトで舗装された道を歩き、二次元の画面に釘付けになった。何をするにしても友達に合わせていた。しかし、そんな友達との間には目には見えない距離があった。土や泥が厚く付いていたヒモ靴はすっかり綺麗になったがどこか痩せこけてしまった様にも見えた。
中学を卒業した僕は全寮制の農業高校に通うようになった。日本一実習が多いこの高校で僕は毎日汗を流しながら農業について学んでいる。農地が人々に与えてくれるものはおいしい農産物だけではない。雨水を保水する事によって洪水や土砂崩れ等を防ぎ、大気や水を浄化する働きも兼ね備えている。そんな“地球のフィルター”とも呼べる農業も農薬や化学肥料、機械等を多用するようになり、排出された汚染物質や二酸化炭素は土も、水も、空気までをも汚染する。そして現在日本では国内自給出来ない大量の飼料穀物を生産者と直接顔を合わす事もない、遠い国に依存している。もし現在の飼料穀物を全て自給するとなれば日本の全耕地面積の2.4倍の面積の畑が必要となる。そして近年そんな莫大な量の飼料がエネルギーに転換され始めている。その為、僕の専攻している養鶏部の飼料価格は急上昇している。一刻も早く日本の農業のあり方を考え直さなくてはならないと思う。
便利で楽な生活。物資が溢れ返り、欲しい物は店に行けば手に入る。そんな生活は互いに支え合っていた人々を遠ざけ、人を土からも遠ざけてしまった。今や家を建てる時や田植えをする時に近所の人が大勢で助け合う必要もない。残された農地では生産効率を上げる為に農薬や化学肥料を多用し、簡単な操作で何でもこなす機械に頼る様になった。今や額に汗せず、土や泥で汚れる事もなく農業ができる。しかし、綺麗な長靴や足袋の裏には踏み潰された自然環境があるのではないだろうか。
…今地球上にあるフィルターはどれだけ汚れてボロボロになってしまっているのだろう。人がその危険性に気付くのはいつだろうか。牛が狂ってから、草木が枯れてから、魚が死んでから、人の命が犠牲になってから…?それでは手遅れかもしれない。目に見えなくても危険な状況はすぐ目の前にある。便利で楽な生活を追求していく程にそんな生活からは抜け出せなくなり限りある資源はやがて底を尽き、便利さの裏で環境は廃れていくのだろう。資源や産業をいつまでも廃れない未来に続けていけるものに切り替えていく必要があると思う。便利さばかりを求めていてはそれは実現しないだろう。田畑を無農薬無化学肥料の有機栽培に切り替え、人体に安全、かつ土壌や水質を保全するという本来の機能を取り戻させる。機械で踏み固められた土地は牛や馬に耕させ、それらの家畜は放牧や有機性廃棄物、残飯等を利用して育て、規模も飼料を自給出来る程度に縮小する。「生きる」という漢字は「牛」という字と「土」という字が合わさって出来ている様に見える。地域やその土地に根付いた畜産が求められているのではないだろうか。その為には地域や隣近所との連携や助け合いが必要となる。そんな農業は廃れずに続いていく。そうして土や泥で汚れた長靴や足袋の裏側には多少なりとも綺麗になった自然環境があるのだと思う。
高校の長期休みで家に帰る度に、昔僕が眺めていた景色は消されては塗り替えられていく。僕たちの遊び場だった田んぼは真ん中をアスファルトで舗装された道に貫かれ、殆どの土地は整備され新築が立つのをまだかまだかと待ち望んでいるように見える。田んぼを貫いたアスファルトの上で子供が2、3人たまっている。歳は丁度僕らがここを走り回っていた頃ぐらいだ。そんな子供達の履いているピカピカな靴は土や泥に触れた事があるのだろうか。
夕陽が冷たい風を運んできた。あの稲ワラの温もりはどこへ行ってしまったのだろう。
未来。ある所にお爺さんとお婆さんが暮らす予定です。お爺さんは山へ柴刈りに。お婆さんは川へ洗濯に。子どもたちの靴は土や泥まみれに。
そうなる事を信じて。
Posted by あいのう高校 at 10:26│Comments(0)
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